村上春樹、「スプートニクの恋人」天才の変化
村上春樹の小説は、好き嫌いが分かれると言われるが、それは読者側が村上春樹の天才的な言葉の選択に付いて行くことが出来ないからなのではないか。
僕も村上春樹の言葉の独特な比喩表現を全て理解出来る訳ではないが、僕は村上春樹の小説を読むときに心がけていることがある。
全てを理解する必要はないということである。
村上春樹という天才の考えを理解するということ自体無謀な事なのだと僕は彼の作品を何作か読んだ後に思うようになった。
数々のベストセラー作品を世に発表している村上春樹の中で、僕が一番好きな作品は1999年に発売された「スプートニクの恋人」である。
では、なぜこの小説が一番好きなのか。
僕はこの小説をまず最初に読んだ時、あまり面白さを感じる事が出来ませんでした。しかし、心のどこかに印象深く刻み込まれたものはありました。
僕はこの小説について少し調べてみました。
すると、この「スプートニクの恋人」という作品は、村上春樹の作品群の中でもあまり評価を得られていない作品であったことが分かりました。
しかし、評価を得られていない作品であったのである。
発売当時に評価を得られなかっただけであり、今では評価を得ている作品なのである。
ではなぜ、評価を得られなかったのか。
その理由は、村上春樹の心境の変化になったのである。
その経験から村上春樹の心境に変化が生じたのである。
そして、事件後、初めて発表されたフィクション作品が「スプートニクの恋人」なのである。
そして、否定したのである。
村上春樹はこの事件によって、小説家としての考え方を転換させたのである。
僕はこの話を知った後、「スプートニクの恋人」をもう一度読み返してみた。
すると、一度目に読んだ印象とは違ったものを受けた。
小説に込められた想いや村上春樹の小説で示した人との関わりのようなものをしっかりと感じる事が出来ました。
村上春樹が生粋の小説家であることが分かりました。
やはり、村上春樹は天才ですね。