三浦しをん、「愛なき世界」で表現する愛
人気小説家の三浦しをんの小説「愛なき世界」を紹介します。
この作品は、2019年の本屋大賞にノミネートされた作品であり、新しい恋愛小説の形を表現した作品です。
あらすじ
恋のライバルが、人類だとは限らない――!? 洋食屋の見習い・藤丸陽太は、植物学研究者をめざす本村紗英に恋をした。しかし本村は、三度の飯よりシロイヌナズナ(葉っぱ)の研究が好き。見た目が殺し屋のような教授、イモに惚れ込む老教授、サボテンを巨大化させる後輩男子など、愛おしい変わり者たちと地道な研究に情熱を燃やす日々……人生のすべてを植物に捧げる本村に、藤丸は恋の光合成を起こせるのか!? 道端の草も人間も、必死に生きている。世界の隅っこが輝きだす傑作長篇。
(中央公論新社より)
恋のライバルが植物⁉
これまでも様々な恋愛小説を読んできたが、主人公が恋をする相手の女性が植物を愛してやまず、人を好きになることを拒んでいるという設定の話は、斬新で新しいと思った。
恋をする対象をこれまでの恋愛小説では、人間としての感覚でしかとらえておらず、人が人以外に恋をしたり愛が芽生えたりするということを趣深く表現している作品だと感じた。
終わりなき恋路
主人公の藤丸は、植物学研究者を目指す木村に恋をするのだが、その木村は、シロイヌナズナという植物に人生を捧げてしまっているという状況が、なんとも面白いなと思いました。
藤丸の木村に対して恋心というのは、真っすぐで当たり前の恋なのに対して、木村は植物という生物学的に違っている生き物に心を奪われている。
恋愛小説としての正しさで言えば、藤丸の恋心は正当なものと言えるだろう。
しかし、木村はどうだろうか。
植物がいくら好きで愛してやまないとしても、人間としての恋を捨てているというのは、正当性に欠けている気がしてならない。
植物に愛するということは、人として生きることを捨てていると考えてもおかしくはないだろう。叶うことのない恋を追い続けるというのは、非常に難しく、辛いと思います。
愛なき世界に生きること
木村は、ある種愛を諦めたと言ってもいいのではないだろうか。
植物の世界に愛という概念が存在していないということをわかっていながら、自らも同じように愛のない世界で生きることを決意し、藤丸から向けられる好意を受け入れたい気持ちを持っていながらも、人生の優先順位はあくまでも植物であり続けるために、木村は、愛を捨てたのではないだろうか。
人としての気持ちを持ち、人から向けられる好意を感じながらも、愛のない世界を望む木村は、果たして幸せと言えるのだろうか。
自らの信念を貫いた先には、どんな未来が待っているのだろうか。