不治の病という題材から学んだ生きる方法
不治の病の侵されるというのは、人生の終わりのお告げなのだろうか。
僕自身これまでの人生で大きな病気をした経験は無いが、これから先の人生の中でどんな運命でどんな死を遂げるのかを最近になって考えた始めた。
定年を迎えた時に不治の病であることを告げられるのと、若くして不治の病であることを告げられるのは、全く違った価値観であることは誰もが分かっていることだろう。
なぜ、最近になってそんなことを考え始めたのかというと、あるテレビドラマをもう一度、改めて観返したことがきっかけであった。
そのドラマは、「1リットルの涙」である。
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このドラマは、一人の女子高校生が不治の病に侵されていく中で、病気と闘いながら、家族や友達との日々を懸命に生きようとする感動のヒューマンドラマである。
この作品はノンフィクションであり、実話をもとにして作られたお話である。
僕はこの作品を観ていて学んだことは、生きて行く中で恥かしがることから逃げてはいけないということである。
物語の中では、主人公の女の子が病気であることで周りから痛い目で見られる場面が多く描かれている。身体が自由に動かすことが出来ない自分を情けなく思い、苦しんでいる描写には何度も胸が苦しくなりました。しかし、そんな逆境を乗り越え、病気と向き合い、一生懸命に生きようとする姿に僕自身の考え方を変える程の影響力を与えてくれた。
誰のどんな目に晒されようとも、自分の置かれている状況に恥じることなく、様々な困難に立ち向かうことによって、人間としての核が鍛えられ、それが生きる幸せになるのではないかと僕はそう思った。
不治の病の辛さを完全に理解することは難しいことではあるが、一生懸命に生きるという当たり前のことをしっかりと理解しながら生きて行こうと改めて感じることが出来た。
皆さんの意見も是非聞かせてください。