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東野圭吾 映画「人魚の眠る家」 感想

感想を書くときはいつもよりもフランクな方がいいと思ったので、軽い感じで書こうと思います。

 


映画『人魚の眠る家』予告編 第2弾

 

映画「人魚の眠る家」観てきました。(もう随分前だが笑)

 

まあ、結論から言うと、バチくそ泣きました。

1人で観に行ったけど、友達と行かなくて正解だった。

基本的に小説で読んだことのある実写映画にいつも期待はしないようにしているのだが、予告を観た感じと東野圭吾本人が泣けると言っていたから少し期待して観てみたら、案の定素晴らしい映画だった。

元々原作の小説が好きだったが、映像にして観ると、また違った良さがあって、原作を読んでいても十分に楽しめる作品だった。

僕自身がこのジャンルの話に弱いというのもあるかもしれないが、誰もが涙腺を少しは緩ませると思った。

 

物語の大きな主題として「脳死は人の死であるか」ということを中心に描かれている作品であるが、脳死は人の死であるのか。僕は映画を観終わった後、頭の中で考えてみた。

身体を動かすことも誰かと話すことも考えることもできないというのは、果たして生きていると言えるのだろうか。心臓が動いているだけで生きていると言えるものなのだろうか。

これは難しい問題だなと僕は答えのない問題を解いているような気分になった。

 

心臓は動いているが脳は死んでいる

この状況を考えてみた時、もしかしたら、生き物が本当に一番大切にしなければいけない体の部分は「」なのかもしれないと思った。

植物状態であるならば、まだ意識を取り戻す可能性はあると思うが、脳死は脳が死んでしまっているから、死んだものを生き返らせることは出来ない。

脳死は人の死である、と声を大きくして言える事ではないし、それが正解だとは思わないが、僕は脳死は人の死であるとこの映画を観て思った。

 

物語の中で最先端技術を使い、人工的に体を動かすことができる研究がされていたが、僕がもし、脳死になってしまったら、あんなことはされたくないなと思ってしまった。

自分の意志で体を動かせるならまだいいが、誰かに好き勝手に体を動かされるというのは、客観的に見て良い気分ではない。

 

もう公開してから数カ月が経ってしまったから、映画館ではもうやっていないけど、とりあえず、原作を読むか、DVDが出るのを待って是非観て欲しいですね。

面白いかどうかというよりは、なかなか考えさせられる映画だったので、満足度は高めだと思いますよ。

もう少し早めに紹介できればよかった!